旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 12/12
2010年7月16日 旅行
帰りの列車の時間が近づいてきた。
そろそろ駅に帰ろう。
駅へ向かう坂道を登っていく。
坂の入り口には標識が立ててあり、「余部駅 道なりに徒歩5分」と記されてある。
ふぅ、登ってきたぞ。
確かに、5分ぐらいはみておいても損はなかろう(笑)。
ホームには、次の列車を待つ人が10人ほどいた。
それにしても、寂しいところだ。
ホームと待合室以外、何もない。
1対の細いレールが、鉄橋に向かって伸びているだけ。
これで小雪でもチラついたりしたら、ますます物寂しくなりそう・・・
15時26分、豊岡行きの普通列車がやってきたので乗り込む。
またもや、車内は大混雑。
もう少し本数増やしてくれませんかね、JR西日本さん。
列車は、余部鉄橋を東へ進む。
聖観音菩薩の上あたりで、手を合わせておいた。
16時06分、城崎温泉で途中下車。
さ、温泉を楽しむぞ。
城崎温泉といえば7つある外湯が有名だが、そのうちの1つが駅のすぐそばにある。
次の列車まで1時間ないので、今回はそちらに入ることに。
城崎温泉駅の改札を出てすぐ右手に、駅舎温泉「さとの湯」がある。
徒歩30秒少々だから、乗り継ぎ湯としては最高のロケーションだ。
中は広く、露天風呂が3階にあり、円山川の眺めもそこそこよい・・・
のだが、スーパー銭湯っぽさがあるのは否めない。
お湯も、(他の外湯に入ったことがないので断定は出来ないが)イマイチ物足りない。
が、そこは立地のよさでカバーするとしよう。
本当の城崎を楽しむのなら、別の機会に1泊で来る方が絶対いいに決まってるし(笑)。
ちょっと早めに温泉を切り上げて、ホームに戻る。
今度こそ、眺めのいい窓際の席を確保するのだ。
発車20分前の車内はガラガラ。
さすがに早すぎたか。
それでも、10分ほど経ったらすっかり満席に。
早く着ておいてよかった(嬉)。
17時10分、福知山行きが発車した。
夕闇迫る丹波路を、西へと急ぐ。
車内は、城崎温泉を堪能した人で一杯。
最初のうちは騒々しかったものの、日が沈むと共にみんな静かになっていった。
つられて、わたくしもウトウト・・・
目を覚ますと、窓の外は漆黒の闇に変わっていた。
まもなく、福知山に到着だ。
18時42分、福知山着。
113系のボックスシートに1時間半座り続けるのは、あまり身体に良くなさそうだ(笑)。
18時52分発の大阪行きを待つ。
やってきたのは、かつての新快速である117系。
よしよし、これなら長時間座っても疲れないぞ。
なにせ、大阪まで2時間20分かかるのだから(汗)。
18時52分、定刻に発車。
暗闇の中、福知山線を南下する。
もう、車窓の景色を楽しむなんてことは出来ないので、迫りくる睡魔に身を任せることにした。
・・・のだが、さっきまで爆睡してたので、なかなか眠れない(笑)。
うつらうつらしつつ、気付けば伊丹まで来ていた。
尼崎を過ぎて淀川を渡れば大阪。
迫りくる高層ビル群を見るにつけ、都会の喧騒の中に帰ってくることの寂しさみたいなものを感じるのは、私だけではないはずだ。
さて、今回の足取りを追ってみよう。
往路の大阪-姫路-和田山-余部(播但線経由)で、221.8km・3,890円。
復路の餘部-城崎温泉-福知山-大阪(福知山線経由)で212.9km・3,570円。
(片道で100kmを越えてるから、城崎温泉での途中下車も可能。)
往復7,460円のところを2,300円でOKだなんて、やっぱり18きっぷは偉い(笑)。
そろそろ駅に帰ろう。
駅へ向かう坂道を登っていく。
坂の入り口には標識が立ててあり、「余部駅 道なりに徒歩5分」と記されてある。
ふぅ、登ってきたぞ。
確かに、5分ぐらいはみておいても損はなかろう(笑)。
ホームには、次の列車を待つ人が10人ほどいた。
それにしても、寂しいところだ。
ホームと待合室以外、何もない。
1対の細いレールが、鉄橋に向かって伸びているだけ。
これで小雪でもチラついたりしたら、ますます物寂しくなりそう・・・
15時26分、豊岡行きの普通列車がやってきたので乗り込む。
またもや、車内は大混雑。
もう少し本数増やしてくれませんかね、JR西日本さん。
列車は、余部鉄橋を東へ進む。
聖観音菩薩の上あたりで、手を合わせておいた。
16時06分、城崎温泉で途中下車。
さ、温泉を楽しむぞ。
城崎温泉といえば7つある外湯が有名だが、そのうちの1つが駅のすぐそばにある。
次の列車まで1時間ないので、今回はそちらに入ることに。
城崎温泉駅の改札を出てすぐ右手に、駅舎温泉「さとの湯」がある。
徒歩30秒少々だから、乗り継ぎ湯としては最高のロケーションだ。
中は広く、露天風呂が3階にあり、円山川の眺めもそこそこよい・・・
のだが、スーパー銭湯っぽさがあるのは否めない。
お湯も、(他の外湯に入ったことがないので断定は出来ないが)イマイチ物足りない。
が、そこは立地のよさでカバーするとしよう。
本当の城崎を楽しむのなら、別の機会に1泊で来る方が絶対いいに決まってるし(笑)。
ちょっと早めに温泉を切り上げて、ホームに戻る。
今度こそ、眺めのいい窓際の席を確保するのだ。
発車20分前の車内はガラガラ。
さすがに早すぎたか。
それでも、10分ほど経ったらすっかり満席に。
早く着ておいてよかった(嬉)。
17時10分、福知山行きが発車した。
夕闇迫る丹波路を、西へと急ぐ。
車内は、城崎温泉を堪能した人で一杯。
最初のうちは騒々しかったものの、日が沈むと共にみんな静かになっていった。
つられて、わたくしもウトウト・・・
目を覚ますと、窓の外は漆黒の闇に変わっていた。
まもなく、福知山に到着だ。
18時42分、福知山着。
113系のボックスシートに1時間半座り続けるのは、あまり身体に良くなさそうだ(笑)。
18時52分発の大阪行きを待つ。
やってきたのは、かつての新快速である117系。
よしよし、これなら長時間座っても疲れないぞ。
なにせ、大阪まで2時間20分かかるのだから(汗)。
18時52分、定刻に発車。
暗闇の中、福知山線を南下する。
もう、車窓の景色を楽しむなんてことは出来ないので、迫りくる睡魔に身を任せることにした。
・・・のだが、さっきまで爆睡してたので、なかなか眠れない(笑)。
うつらうつらしつつ、気付けば伊丹まで来ていた。
尼崎を過ぎて淀川を渡れば大阪。
迫りくる高層ビル群を見るにつけ、都会の喧騒の中に帰ってくることの寂しさみたいなものを感じるのは、私だけではないはずだ。
さて、今回の足取りを追ってみよう。
往路の大阪-姫路-和田山-余部(播但線経由)で、221.8km・3,890円。
復路の餘部-城崎温泉-福知山-大阪(福知山線経由)で212.9km・3,570円。
(片道で100kmを越えてるから、城崎温泉での途中下車も可能。)
往復7,460円のところを2,300円でOKだなんて、やっぱり18きっぷは偉い(笑)。
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 11/12
2010年7月16日 旅行
鉄橋の真下に、聖観世音菩薩が建てられている。
90年にわたる鉄橋の歴史において、最大の悲劇となったあの日・・・
1986年(昭和61年)12月28日。
年の瀬も迫ったその日、発達中の低気圧が日本海を東進、風速25m/sを越す突風が吹き荒れていた。
当時の余部鉄橋運行規定では、風速25m/s以上の風が吹くと福知山にあるCTC司令室に警報が発せられ、列車が鉄橋に進入できないようにするはずだった。
しかし、列車は鉄橋に入ってしまった。
一説によると、これは人為的ミスによるものらしい。
CTC司令室の担当員は、この警報に気付いていた。
当然、余部鉄橋前後にある信号機を赤にして、危険を回避せねばならない。
ところが、だ。
このとき優先されたのは危険回避ではなく、「列車運行ダイヤを守る」ことだったのだ。
その判断ミスが、最悪の結果を招いた。
13時25分ごろ。
香住から浜坂に向かって回送中のお座敷列車「みやび」が余部鉄橋に進入。
鉄橋の真中あたりで、日本海からの強風に煽られた。
異常な振動に驚いたディーゼル機関車の運転士が後ろを振り返ると・・・
牽引していたはずの「みやび」の台車が数台、鉄橋上に残っているのみだった。
7両編成の「みやび」は鉄橋から転落、41m下のカニ加工工場や民家を直撃していた。
客車内にいた車掌1人と、加工工場の従業員5人の計6人が死亡。
同じく客車内にいた日本食堂の従業員1人と、加工工場の従業員5人の計6人が重症を負った。
この事故を機に、国鉄(現・JR西日本)は余部鉄橋における運行規定を強化。
風速20m/sをリミットとし、これ以上の強風が吹けば自動的に信号機が赤に変わるようになった。
以来、このような大惨事が起きることなく、今日に至っている。
ただし、冬場の運休回数は相当なもので、「安全」と並ぶ鉄道のもうひとつの使命「定時運行」の確保が難しくなったのも事実。
これを回避するため、ついに余部鉄橋が架け替えられることが決定した。
さすがに鉄骨造りのトレッスル橋というわけにはいかず、いわゆるPC橋になるのだが、この無骨で雄大な鉄橋も、
間もなく見納めになるんだな・・・
カニ加工工場のあった場所に、先ほどの聖観音菩薩が建てられている。
事故でなくなった方々を供養し、これから先、このような事故を二度と起こさないことを誓うための慰霊碑なのだ。
慰霊碑の傍らには線香やローソク、マッチのほか、事故に関する文献や記事、写真が入った木箱が備え付けられている。
文献を手にとって目を通してみると・・・
当時、ここに住んでいた人々の悲しみが綴られていた。
この事故から18年あまり過ぎた、今年の4月25日。
まだ記憶に新しい、尼崎列車転覆脱線事故が発生。
いまはまだ原因究明が進んでいる最中だが、107人もの命を奪った原因、それは「列車運行ダイヤを守る」ことだったんだろう。
国鉄が解体され、まもなくJRが産声をあげようかという時代の過渡期に起こった大惨事。
あの時の教訓は、生かされなかったのだろうか・・・
90年にわたる鉄橋の歴史において、最大の悲劇となったあの日・・・
1986年(昭和61年)12月28日。
年の瀬も迫ったその日、発達中の低気圧が日本海を東進、風速25m/sを越す突風が吹き荒れていた。
当時の余部鉄橋運行規定では、風速25m/s以上の風が吹くと福知山にあるCTC司令室に警報が発せられ、列車が鉄橋に進入できないようにするはずだった。
しかし、列車は鉄橋に入ってしまった。
一説によると、これは人為的ミスによるものらしい。
CTC司令室の担当員は、この警報に気付いていた。
当然、余部鉄橋前後にある信号機を赤にして、危険を回避せねばならない。
ところが、だ。
このとき優先されたのは危険回避ではなく、「列車運行ダイヤを守る」ことだったのだ。
その判断ミスが、最悪の結果を招いた。
13時25分ごろ。
香住から浜坂に向かって回送中のお座敷列車「みやび」が余部鉄橋に進入。
鉄橋の真中あたりで、日本海からの強風に煽られた。
異常な振動に驚いたディーゼル機関車の運転士が後ろを振り返ると・・・
牽引していたはずの「みやび」の台車が数台、鉄橋上に残っているのみだった。
7両編成の「みやび」は鉄橋から転落、41m下のカニ加工工場や民家を直撃していた。
客車内にいた車掌1人と、加工工場の従業員5人の計6人が死亡。
同じく客車内にいた日本食堂の従業員1人と、加工工場の従業員5人の計6人が重症を負った。
この事故を機に、国鉄(現・JR西日本)は余部鉄橋における運行規定を強化。
風速20m/sをリミットとし、これ以上の強風が吹けば自動的に信号機が赤に変わるようになった。
以来、このような大惨事が起きることなく、今日に至っている。
ただし、冬場の運休回数は相当なもので、「安全」と並ぶ鉄道のもうひとつの使命「定時運行」の確保が難しくなったのも事実。
これを回避するため、ついに余部鉄橋が架け替えられることが決定した。
さすがに鉄骨造りのトレッスル橋というわけにはいかず、いわゆるPC橋になるのだが、この無骨で雄大な鉄橋も、
間もなく見納めになるんだな・・・
カニ加工工場のあった場所に、先ほどの聖観音菩薩が建てられている。
事故でなくなった方々を供養し、これから先、このような事故を二度と起こさないことを誓うための慰霊碑なのだ。
慰霊碑の傍らには線香やローソク、マッチのほか、事故に関する文献や記事、写真が入った木箱が備え付けられている。
文献を手にとって目を通してみると・・・
当時、ここに住んでいた人々の悲しみが綴られていた。
この事故から18年あまり過ぎた、今年の4月25日。
まだ記憶に新しい、尼崎列車転覆脱線事故が発生。
いまはまだ原因究明が進んでいる最中だが、107人もの命を奪った原因、それは「列車運行ダイヤを守る」ことだったんだろう。
国鉄が解体され、まもなくJRが産声をあげようかという時代の過渡期に起こった大惨事。
あの時の教訓は、生かされなかったのだろうか・・・
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 10/12
2010年7月16日 旅行
本日、撮影予定の列車は全て撮り終えた。
問題はここからだ。
現在、時計の針は14時10分をさしている。
で、帰りの上り普通列車は15時26分発。
うーん、かるく1時間はある・・・
ちょっと、国道沿いに鉄橋の下まで行ってみるか。
ガソリンスタンドのある交差点まで戻り、国道を鉄橋に向かって歩き出す。
左手に防波堤を見ながら歩いていくと、鉄橋が正面に見えてきた。
鉄橋が国道をまたぐところに、白いペンキで「山陰本線 余部橋りょう」と書かれてある。
住所は餘部、駅名も餘部、鉄橋は余部・・・ややこしい(汗)。
それにしても、なんで「梁」だけが平仮名なんでしょうか(笑)?
小さな駐車場が見えてきた。
ここには公衆トイレも設置されていて、車でやってきた人にはありがたいスペースになってる。
小さいとはいえ10台ぐらいは停められそうなんで、夜遅く到着して夜明けを待って朝一の寝台特急出雲を撮る、なんてこともできそうだ。
トイレのほかには余部鉄橋の生い立ちを紹介した案内板があったり、餘部駅ガイドマップがあったり。
ここは、立派な観光地なんだと実感することができる。
ちなみに、生い立ちにはこう書かれてある。
余部鉄橋(あまるべてっきょう)
この鉄橋は、明治45年(1912年)に2年の歳月と33万余円の巨費、延べ25万人の人夫を投じて完成された。
建築様式はトレッスル式鉄橋で当時の鉄道院技師古川晴一氏などにより米人技師の意見を取り入れ設計された。
トレッスル(橋脚部分)の資材はアメリカより送られて来て余部沖でハシケに移し陸揚げされた。
山陰本線敷設では最大の難工事であり、この鉄道の完成により事実上の山陰本線の開通となった。(明治45年3月)
高さ41メートル、長さ309メートルの規模は当時、東洋一としてデビューしたが現在でもトレッスル式鉄橋では日本一の規模を誇っている。
昭和61年12月の折からの強風による、列車転落事故は全世界の人々を震撼させた。
犠牲者の方のご冥福をお祈りします。
そのまま鉄橋の下を抜けて、反対側から眺めてみる。
この時間はこちらからのほうが順光気味なんで、青い空に赤い鉄橋のコントラストが一段と美しく映える。
橋脚の「根っこ」を見てみよう。
90年にわたって巨大鉄橋を支えきただけあって、錆びてはいるけど頑丈そのものだ。
保線区の職員さんが定期的にペンキを塗って錆び止めしているんだとか。
メンテナンスという点ではPC橋に敵うはずもないよなぁ・・・
問題はここからだ。
現在、時計の針は14時10分をさしている。
で、帰りの上り普通列車は15時26分発。
うーん、かるく1時間はある・・・
ちょっと、国道沿いに鉄橋の下まで行ってみるか。
ガソリンスタンドのある交差点まで戻り、国道を鉄橋に向かって歩き出す。
左手に防波堤を見ながら歩いていくと、鉄橋が正面に見えてきた。
鉄橋が国道をまたぐところに、白いペンキで「山陰本線 余部橋りょう」と書かれてある。
住所は餘部、駅名も餘部、鉄橋は余部・・・ややこしい(汗)。
それにしても、なんで「梁」だけが平仮名なんでしょうか(笑)?
小さな駐車場が見えてきた。
ここには公衆トイレも設置されていて、車でやってきた人にはありがたいスペースになってる。
小さいとはいえ10台ぐらいは停められそうなんで、夜遅く到着して夜明けを待って朝一の寝台特急出雲を撮る、なんてこともできそうだ。
トイレのほかには余部鉄橋の生い立ちを紹介した案内板があったり、餘部駅ガイドマップがあったり。
ここは、立派な観光地なんだと実感することができる。
ちなみに、生い立ちにはこう書かれてある。
余部鉄橋(あまるべてっきょう)
この鉄橋は、明治45年(1912年)に2年の歳月と33万余円の巨費、延べ25万人の人夫を投じて完成された。
建築様式はトレッスル式鉄橋で当時の鉄道院技師古川晴一氏などにより米人技師の意見を取り入れ設計された。
トレッスル(橋脚部分)の資材はアメリカより送られて来て余部沖でハシケに移し陸揚げされた。
山陰本線敷設では最大の難工事であり、この鉄道の完成により事実上の山陰本線の開通となった。(明治45年3月)
高さ41メートル、長さ309メートルの規模は当時、東洋一としてデビューしたが現在でもトレッスル式鉄橋では日本一の規模を誇っている。
昭和61年12月の折からの強風による、列車転落事故は全世界の人々を震撼させた。
犠牲者の方のご冥福をお祈りします。
そのまま鉄橋の下を抜けて、反対側から眺めてみる。
この時間はこちらからのほうが順光気味なんで、青い空に赤い鉄橋のコントラストが一段と美しく映える。
橋脚の「根っこ」を見てみよう。
90年にわたって巨大鉄橋を支えきただけあって、錆びてはいるけど頑丈そのものだ。
保線区の職員さんが定期的にペンキを塗って錆び止めしているんだとか。
メンテナンスという点ではPC橋に敵うはずもないよなぁ・・・
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 9/12
2010年7月16日 旅行
撮影目標の5列車のうち、4列車までを撮り終えた。
最後にやってくる、14時07分の特急はまかぜ4号の通過まで、30分の空き時間がある。
ちょい、港の写真も撮っておこう。
港、といっても小さい漁港で、小さな漁船が陸に上げられたままになっている。
波が高いので、漁に出てないんでしょうか?
港を囲む小さな防波堤があり、そこから鉄橋を狙うと、もう少し大きく海を入れることができるのだが・・・
ドッパーン!
大きな波が打ち寄せ、とてもじゃないがカメラを構えて立つ勇気はない(笑)。
時折、鉄橋のほうにカメラを向け、はまかぜ通過時の構図をチェックしてみたりする。
すると、関テレのカメラマンさん、「カメラ構えているところ、録らせてもらっていいですか?」
聞くところによると、来月放送予定の余部鉄橋特集で使うかも?とのこと。
はいはい、どうぞどうぞ、ご自由に(笑)。
さて、ランチにするか。
この日のために用意した(昨夜、買ってきた)、ダイエーで半額で売っていたサンドイッチだ(笑)。
モグモグ・・・
激しい潮風の中サンドイッチを頬張っていると、「こんにちは」と声をかけられた。
今度は誰だ(笑)?
初老のご夫婦でした。
「テレビで余部鉄橋の話題をやっているのを見ましてね・・・
架け替えられる前に一目見ておこうと、神奈川からやって来たんですよ。」
ふぇ~、そりゃまた遠くからご苦労様です。
旦那さんは、奥さんをモデルに、鉄橋をバックにして撮りまくりでした(笑)。
サンドイッチも食べ終わり、まもなく14時07分。
はまかぜ4号がやってくる時間だ。
カメラを構え、鉄橋に狙いを定める。
右のほうから鈍いエンジン音が鳴り響いてきた。
はまかぜ4号だ。
さっき、お立ち台から撮ったはまかぜ1号の折り返しなので、編成に変更はなし。国鉄色2両を含む5両編成で、鉄橋を渡って行く。
ガタンゴトン、ガタンゴトン・・・
いいジョイント音だ。
最後にやってくる、14時07分の特急はまかぜ4号の通過まで、30分の空き時間がある。
ちょい、港の写真も撮っておこう。
港、といっても小さい漁港で、小さな漁船が陸に上げられたままになっている。
波が高いので、漁に出てないんでしょうか?
港を囲む小さな防波堤があり、そこから鉄橋を狙うと、もう少し大きく海を入れることができるのだが・・・
ドッパーン!
大きな波が打ち寄せ、とてもじゃないがカメラを構えて立つ勇気はない(笑)。
時折、鉄橋のほうにカメラを向け、はまかぜ通過時の構図をチェックしてみたりする。
すると、関テレのカメラマンさん、「カメラ構えているところ、録らせてもらっていいですか?」
聞くところによると、来月放送予定の余部鉄橋特集で使うかも?とのこと。
はいはい、どうぞどうぞ、ご自由に(笑)。
さて、ランチにするか。
この日のために用意した(昨夜、買ってきた)、ダイエーで半額で売っていたサンドイッチだ(笑)。
モグモグ・・・
激しい潮風の中サンドイッチを頬張っていると、「こんにちは」と声をかけられた。
今度は誰だ(笑)?
初老のご夫婦でした。
「テレビで余部鉄橋の話題をやっているのを見ましてね・・・
架け替えられる前に一目見ておこうと、神奈川からやって来たんですよ。」
ふぇ~、そりゃまた遠くからご苦労様です。
旦那さんは、奥さんをモデルに、鉄橋をバックにして撮りまくりでした(笑)。
サンドイッチも食べ終わり、まもなく14時07分。
はまかぜ4号がやってくる時間だ。
カメラを構え、鉄橋に狙いを定める。
右のほうから鈍いエンジン音が鳴り響いてきた。
はまかぜ4号だ。
さっき、お立ち台から撮ったはまかぜ1号の折り返しなので、編成に変更はなし。国鉄色2両を含む5両編成で、鉄橋を渡って行く。
ガタンゴトン、ガタンゴトン・・・
いいジョイント音だ。
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 8/12
2010年7月16日 旅行
余部の漁港にやって来た。
ここからだと、画面下に少しだけ海を入れた構図で鉄橋を狙える。
結構高い波が、激しくテトラポットに打ち付けられる。
そして、時折大きな波飛沫を上げる。
うーん、この波飛沫と列車の通過が重なったら、迫力ある写真になるんだけどなぁ・・・
と、先ほどの関テレのカメラマンさんが、「次の列車の時間って分かりますか?」と尋ねてきた。
「えーと・・・31分に、上りの普通列車が来ます。
・・・そうです、右のほうから来ます。
駅に停まるんで、分かると思います。
そのすぐ後、38分に下り普通列車が来ます。
今度は反対側、左側から来ます。
トンネルを抜けたらいきなり鉄橋上に入ってきます。
が、1両か2両なんで、慌てずに撮影できると思いますよ。
この2列車が終わって30分後に特急が来ます。
これは編成も長いから、絵になると思います。」
そんな会話をしてるうちに時間だ。
13時31分の上り普通列車と、38分の下り普通列車が続けざまに鉄橋を渡る。
31分ちょい前。
余部駅に列車が入ってきたのが見えた。
すぐさま、カメラを鉄橋のほうに向ける。
まずはOLYMPUSの35-Sからだ。
こいつはピント合わせもフィルム巻き上げも全部手動だから連写はちと厳しい。
2枚ぐらいが限度か。
まぁ、列車のほうも微速(笑)だから、少しは余裕があるが。
2枚撮り終わったら、Kissデジ Nに持ち替えて連写だ。
31分。
列車が鉄橋上に入ってきた。
35-Sで続けざまに2枚撮影。
今度はKissデジ Nだ。
こっちはオートフォーカスに連写モードだから、随分と楽だ(笑)。
ちょうど、列車が鉄橋の真ん中に差し掛かったとき・・・
ザッパーン!
目の前のテトラポットに当たった波が砕けて、大きな波飛沫が立った。
シャッターのタイミングと一致したかな?
撮影後、モニターで確認。
よし!
写ってる!
でも、波飛沫はもうちょい大きかったほうがよかったかな(笑)?
続いて38分の下り普通列車が鉄橋に入ってきた。
今度は普通に(笑)撮っておいた。
ここからだと、画面下に少しだけ海を入れた構図で鉄橋を狙える。
結構高い波が、激しくテトラポットに打ち付けられる。
そして、時折大きな波飛沫を上げる。
うーん、この波飛沫と列車の通過が重なったら、迫力ある写真になるんだけどなぁ・・・
と、先ほどの関テレのカメラマンさんが、「次の列車の時間って分かりますか?」と尋ねてきた。
「えーと・・・31分に、上りの普通列車が来ます。
・・・そうです、右のほうから来ます。
駅に停まるんで、分かると思います。
そのすぐ後、38分に下り普通列車が来ます。
今度は反対側、左側から来ます。
トンネルを抜けたらいきなり鉄橋上に入ってきます。
が、1両か2両なんで、慌てずに撮影できると思いますよ。
この2列車が終わって30分後に特急が来ます。
これは編成も長いから、絵になると思います。」
そんな会話をしてるうちに時間だ。
13時31分の上り普通列車と、38分の下り普通列車が続けざまに鉄橋を渡る。
31分ちょい前。
余部駅に列車が入ってきたのが見えた。
すぐさま、カメラを鉄橋のほうに向ける。
まずはOLYMPUSの35-Sからだ。
こいつはピント合わせもフィルム巻き上げも全部手動だから連写はちと厳しい。
2枚ぐらいが限度か。
まぁ、列車のほうも微速(笑)だから、少しは余裕があるが。
2枚撮り終わったら、Kissデジ Nに持ち替えて連写だ。
31分。
列車が鉄橋上に入ってきた。
35-Sで続けざまに2枚撮影。
今度はKissデジ Nだ。
こっちはオートフォーカスに連写モードだから、随分と楽だ(笑)。
ちょうど、列車が鉄橋の真ん中に差し掛かったとき・・・
ザッパーン!
目の前のテトラポットに当たった波が砕けて、大きな波飛沫が立った。
シャッターのタイミングと一致したかな?
撮影後、モニターで確認。
よし!
写ってる!
でも、波飛沫はもうちょい大きかったほうがよかったかな(笑)?
続いて38分の下り普通列車が鉄橋に入ってきた。
今度は普通に(笑)撮っておいた。
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 6/12
2010年7月16日 旅行
時計の針が、12時45分をさした。
ホームのほうから、エンジン音が聞こえてくる。
その音が一段と高まったと思ったとき、1両のディーゼルカーが鉄橋上に躍り出てきた。
と同時に、その場にいた全員が一斉にシャッターを切る。
えーっと、写り具合はどうかな・・・
・・・液晶モニターじゃ分かりにくいなぁ。
ヒストグラムを見ると、そう問題はなさそう。
とりあえずOKか。
そんなことをしてるうちに、13時を回った。
まもなく、はまかぜ1号がトンネルの向こうから姿を現すはずだ。
カメラを構え、ファインダーを覗いてその時を待つ。
ファーンという汽笛を鳴り響かせ、トンネルを抜けたはまかぜ1号が、鉄橋上に躍り出てきた。
国鉄色のキハ181が先頭だ。
1・2・3・4・5・・・今日は5両編成、うち2両が国鉄色。
なかなか、堂々とした走りっぷりだ。
キハ181系といえば、モーターファンも唸るエンジンが搭載されているのをご存知だろうか。
DML30HSがそれで、なんと30リッター水平対向12気筒インタークーラーつきターボエンジンだ。
レガシィも真っ青である(笑)。
ま、聞くところによればピストンの動きそのものが自動車用の水平対向エンジンとは違うらしいのだが。
ホームのほうから、エンジン音が聞こえてくる。
その音が一段と高まったと思ったとき、1両のディーゼルカーが鉄橋上に躍り出てきた。
と同時に、その場にいた全員が一斉にシャッターを切る。
えーっと、写り具合はどうかな・・・
・・・液晶モニターじゃ分かりにくいなぁ。
ヒストグラムを見ると、そう問題はなさそう。
とりあえずOKか。
そんなことをしてるうちに、13時を回った。
まもなく、はまかぜ1号がトンネルの向こうから姿を現すはずだ。
カメラを構え、ファインダーを覗いてその時を待つ。
ファーンという汽笛を鳴り響かせ、トンネルを抜けたはまかぜ1号が、鉄橋上に躍り出てきた。
国鉄色のキハ181が先頭だ。
1・2・3・4・5・・・今日は5両編成、うち2両が国鉄色。
なかなか、堂々とした走りっぷりだ。
キハ181系といえば、モーターファンも唸るエンジンが搭載されているのをご存知だろうか。
DML30HSがそれで、なんと30リッター水平対向12気筒インタークーラーつきターボエンジンだ。
レガシィも真っ青である(笑)。
ま、聞くところによればピストンの動きそのものが自動車用の水平対向エンジンとは違うらしいのだが。
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 5/12
2010年7月16日 旅行
撮影を開始するにあたって、段取りを決めておこう。
というのも、この余部鉄橋、行きかう列車の本数が非常に少ないので、効率よく撮影しないと様々なアングルから撮ることができないのだ。
(もちろん、鉄橋だけの撮影なら、時間は嫌というほどあるのだが(笑)。)
京阪神地区のように、ボケーっと突っ立ってるだけでビュンビュンと列車が行きかうような所ではないのである。
どのぐらい少ないかというと・・・
今乗ってきた12時31分発の下り普通列車は、もちろん撮ることはできない。
当然のように、帰りに乗る15時26分発の上り普通列車も撮ることはできない。
この約3時間の間に鉄橋を通過する列車は・・・
12時45分 上り 城崎・豊岡方面 普通列車(1)
13時03分 下り 浜坂・鳥取方面 特急はまかぜ1号(2)
13時31分 上り 城崎・豊岡方面 普通列車(3)
13時38分 下り 浜坂・鳥取方面 普通列車(4)
14時07分 上り 城崎・豊岡方面 特急はまかぜ4号(5)
(お立ち台に設置されている時刻表より抜粋)
の、5列車だ。
ギリギリまで粘るのなら、15時26分発を見送って、次の16時08分発という手もあるのだが、これだと城崎温泉ですぐに福知山行きに乗り換えねばならず、温泉を堪能することができない(15時26分発なら、1時間の入浴タイムをとることができる)ので、今回は見送り。
さて、効率よく攻めるのなら、まずはホームからすぐの「お立ち台(列車の写真をきれいに写すことのできる場所のこと)」
から狙うのが順当だろう。
20分間で(1)と(2)、2列車をおさえることができる。
次の(3)まで30分あるので、この間に海岸線へ移動するとしよう。
余部には漁港があり、そこから海を入れてロングショットで狙うことができるのだ。
(3)と(4)は7分という短い間隔でやってくる。
(4)の通過後は、また30分近く待たねばならないが、ランチタイムに当てるとしよう。
バッグの中には、昨夜、ダイエーで2割引で購入したサンドイッチが詰め込んである(笑)。
14時07分に(5)を撮り終えてからがどうするか・・・
帰りの列車まで1時間10分もあるのよ(笑)。
ま、それはおいおい考えるとしよう。
それでは、お立ち台から12時45分の上り普通列車と、13時03分の特急はまかぜ1号を狙うとしよう。
ホームから集落に降りていく道とは別に、「鉄橋撮影ポイント登り口」と書かれた標識が示す階段がある。
ご丁寧に、「こんな写真が撮れますよ」と言わんばかり(笑)の標識だ。
この標識に従って短い階段を登って行くと、お立ち台に着く。
このお立ち台、鉄橋がよく見えるように伐採され、先に紹介した時刻表まで設置されている。
まさに、至れり尽くせりだ。
すでに4人ほどがカメラを構えている。
そこに、先ほどの列車で到着した4人が加わる。
ちなみに、姫路から向こう、ずーっと同じ列車に乗っていた小学生もいた(笑)。
総勢8人ぐらいならこなせるだけのスペースはある。
それにしても、相変わらず天候が回復しない。
空はどんよりと曇り、強い風が吹き付けてくる。
雨も降ったり止んだりの繰り返しだ。
というのも、この余部鉄橋、行きかう列車の本数が非常に少ないので、効率よく撮影しないと様々なアングルから撮ることができないのだ。
(もちろん、鉄橋だけの撮影なら、時間は嫌というほどあるのだが(笑)。)
京阪神地区のように、ボケーっと突っ立ってるだけでビュンビュンと列車が行きかうような所ではないのである。
どのぐらい少ないかというと・・・
今乗ってきた12時31分発の下り普通列車は、もちろん撮ることはできない。
当然のように、帰りに乗る15時26分発の上り普通列車も撮ることはできない。
この約3時間の間に鉄橋を通過する列車は・・・
12時45分 上り 城崎・豊岡方面 普通列車(1)
13時03分 下り 浜坂・鳥取方面 特急はまかぜ1号(2)
13時31分 上り 城崎・豊岡方面 普通列車(3)
13時38分 下り 浜坂・鳥取方面 普通列車(4)
14時07分 上り 城崎・豊岡方面 特急はまかぜ4号(5)
(お立ち台に設置されている時刻表より抜粋)
の、5列車だ。
ギリギリまで粘るのなら、15時26分発を見送って、次の16時08分発という手もあるのだが、これだと城崎温泉ですぐに福知山行きに乗り換えねばならず、温泉を堪能することができない(15時26分発なら、1時間の入浴タイムをとることができる)ので、今回は見送り。
さて、効率よく攻めるのなら、まずはホームからすぐの「お立ち台(列車の写真をきれいに写すことのできる場所のこと)」
から狙うのが順当だろう。
20分間で(1)と(2)、2列車をおさえることができる。
次の(3)まで30分あるので、この間に海岸線へ移動するとしよう。
余部には漁港があり、そこから海を入れてロングショットで狙うことができるのだ。
(3)と(4)は7分という短い間隔でやってくる。
(4)の通過後は、また30分近く待たねばならないが、ランチタイムに当てるとしよう。
バッグの中には、昨夜、ダイエーで2割引で購入したサンドイッチが詰め込んである(笑)。
14時07分に(5)を撮り終えてからがどうするか・・・
帰りの列車まで1時間10分もあるのよ(笑)。
ま、それはおいおい考えるとしよう。
それでは、お立ち台から12時45分の上り普通列車と、13時03分の特急はまかぜ1号を狙うとしよう。
ホームから集落に降りていく道とは別に、「鉄橋撮影ポイント登り口」と書かれた標識が示す階段がある。
ご丁寧に、「こんな写真が撮れますよ」と言わんばかり(笑)の標識だ。
この標識に従って短い階段を登って行くと、お立ち台に着く。
このお立ち台、鉄橋がよく見えるように伐採され、先に紹介した時刻表まで設置されている。
まさに、至れり尽くせりだ。
すでに4人ほどがカメラを構えている。
そこに、先ほどの列車で到着した4人が加わる。
ちなみに、姫路から向こう、ずーっと同じ列車に乗っていた小学生もいた(笑)。
総勢8人ぐらいならこなせるだけのスペースはある。
それにしても、相変わらず天候が回復しない。
空はどんよりと曇り、強い風が吹き付けてくる。
雨も降ったり止んだりの繰り返しだ。
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 4/12
2010年7月16日 旅行
11時50分。
往路、最後の列車となる浜坂行きに乗り込む。
これまた結構な混み具合。
ボックスシートは諦め、ロングシートに腰を下ろす。
列車は日本海に面した山陰の小さな漁村を横目に、ゴトゴトと進んでいく。
と、空が急に暗くなってきた。
そして、雨・・・
おいおい、天気予報じゃ雨なんて言ってなかったぞ?
「ああ、やっぱり降ってきたわ。」
「山陰の天気は気まぐれですからね。」
「こっちに来る時は、晴れてても傘は絶対にいるからね。」
どこからともなく聞こえてくる、そんな会話。
そんな大事なことは、早く言っておいてくれ(笑)。
薄暗い空模様の中、列車は鎧に到着。
鎧といえば、思い出すのがNHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」。
史郎の故郷であり、この駅のホームで、彼と香子は落ち合ったのだ。
ホームの外れには、ふたりっ子ロケ地の看板もある(随分と錆びれていたけど)。
ホームから眺める鎧の町並みはなかなか美しかったと記憶しているのだが、停車時間が短すぎて降りられず。
またの機会(って、あるのかな?)にとっておこう。
鎧を出ると、次は餘部。
4つ目のトンネルを抜けた瞬間・・・
列車の走行音が変わり、空中に躍り出た。
車窓のはるか下のほうに余部の町並みが見え、その向こうには荒れ狂う日本海がある。
まさに「空中散歩」のごとく、地上41mの一本綱の上を走っていく。
列車は300mばかりの空中散歩を終え、12時31分、餘部に到着。
都合、泉北から6時間強。
ふえぇ、疲れたぁ・・・
往路、最後の列車となる浜坂行きに乗り込む。
これまた結構な混み具合。
ボックスシートは諦め、ロングシートに腰を下ろす。
列車は日本海に面した山陰の小さな漁村を横目に、ゴトゴトと進んでいく。
と、空が急に暗くなってきた。
そして、雨・・・
おいおい、天気予報じゃ雨なんて言ってなかったぞ?
「ああ、やっぱり降ってきたわ。」
「山陰の天気は気まぐれですからね。」
「こっちに来る時は、晴れてても傘は絶対にいるからね。」
どこからともなく聞こえてくる、そんな会話。
そんな大事なことは、早く言っておいてくれ(笑)。
薄暗い空模様の中、列車は鎧に到着。
鎧といえば、思い出すのがNHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」。
史郎の故郷であり、この駅のホームで、彼と香子は落ち合ったのだ。
ホームの外れには、ふたりっ子ロケ地の看板もある(随分と錆びれていたけど)。
ホームから眺める鎧の町並みはなかなか美しかったと記憶しているのだが、停車時間が短すぎて降りられず。
またの機会(って、あるのかな?)にとっておこう。
鎧を出ると、次は餘部。
4つ目のトンネルを抜けた瞬間・・・
列車の走行音が変わり、空中に躍り出た。
車窓のはるか下のほうに余部の町並みが見え、その向こうには荒れ狂う日本海がある。
まさに「空中散歩」のごとく、地上41mの一本綱の上を走っていく。
列車は300mばかりの空中散歩を終え、12時31分、餘部に到着。
都合、泉北から6時間強。
ふえぇ、疲れたぁ・・・
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 3/12
2010年7月16日 旅行
決行日、当日。
奮発(笑)して、5時起きした。
大阪駅、7時10分過ぎ。
当駅始発の新快速だから、この時間でも十分余裕を持って」席にありつけるだろう、と考えていたのだが・・・
いやいや、ホーム激混み(汗)。
これ、ひょっとして座れないんでないかい?( ̄▽ ̄;)
結局、上手く座ることができたからよかったようなものの、
あと1分遅かったら姫路まで立ちっ放しになるところだった(汗)。
8時18分、姫路に到着。
大方の乗客が改札口へ向かう中、播但線乗り場へ。
33番線には23分発が止まってたけど、どうせ寺前から先のダイヤはおんなじ、ということで44分発まで小休止。
でも、後々考えたら、23分発に乗っておけばよかったという罠。
8時44分、播但線の普通・寺前行きが姫路駅を発車。
寺前までは電化されているので、103系が入線している。
とは言うものの、大阪環状線とは違い、こちらは2両編成。
さらにワンマン運転。
車内には料金表の電光掲示板と料金箱が設置され、あまり103系らしくない。
が、乗り心地は103系そのもので、やっぱり雑(笑)。
9時24分、寺前着。
島式ホームの反対側には、28分発の和田山行きが待っている。
こちらは単行(1両)のディーゼルカー。
ま、空いてるんだろうけど・・・混んでる。( ̄▽ ̄;)
車内は結構な混み具合。
おかげで、窓辺の席を確保できず(しかも後ろ向き)。
うーん・・・姫路で23分発に乗っとけばよかった(悔)。
さて、播但線の車窓も、ここから先は人里離れた山間の景色に変わる。
その景色の中を、単行のディーゼルカーがゴトゴトと進んでいく。
眠い・・・
目を覚ますと、線路の脇を流れる川の流れが逆になっている。
いつの間にかサミットを越え、山陰側に入っていたのだ。
こうなると、播但線も終点が近い。
10時12分、和田山に到着した。
和田山では、姫路と同じく26分の接続時間がある。
とはいうものの、何もすることがない。
同じく先ほどの列車に乗っていた他の面々も、手持ち無沙汰な様子。
と、自販機コーナーの向こうに売店があるのを発見。
うどん屋さんもある。
・・・食うしかあるまい(笑)。
なんとか26分の時間をつぶして、10時38分発の城崎温泉行きに乗り込んだのだが・・・
新快速以上の激混み(汗)。
こりゃ、ちょっと2両ではキツイんでないかい?っていう具合。
ま、なんとか座ることはできましたけど、如何せん113系のボックスシートだから、狭くて堪んなかった。
途中、八鹿の駅でスノーボードを担いだ学校帰りと思しき3人組が降りていった。
ここからだと、バスでハチ高原に向かえる。
帰宅がてらゲレンデか・・・
ちょっぴりウラヤマシイ。( ゚д゚)ウラヤマスィ
車窓に映る円山川の流れは、穏やかそのもの。
だが、ひとたび大雨が降ると、この川は暴れだす。
昨年10月の台風23号による水害の光景が、脳裏に浮かぶ。
円山川の川幅が広くなってきたら、この列車の終点、城崎温泉に到着だ。
11時25分。
やっと、城崎温泉まで来たぁ。
よーし、次の列車までの時間を利用して、駅前の温泉に入っ・・・25分しかないんだった。○| ̄|_
それにしても、また、中途半端な時間だ・・・
姫路からこっち、ず~っと見かける同じ顔ぶれの面々は、皆、することのないホームで時間を潰していた。
いや、気がつけば、みんな18きっぷ族なの。
上はお年寄りのご夫婦、下は小学校3年生ぐらいのヒトリストの男の子まで・・・
やっぱり、餘部まで行くんでしょうかね(笑)?
奮発(笑)して、5時起きした。
大阪駅、7時10分過ぎ。
当駅始発の新快速だから、この時間でも十分余裕を持って」席にありつけるだろう、と考えていたのだが・・・
いやいや、ホーム激混み(汗)。
これ、ひょっとして座れないんでないかい?( ̄▽ ̄;)
結局、上手く座ることができたからよかったようなものの、
あと1分遅かったら姫路まで立ちっ放しになるところだった(汗)。
8時18分、姫路に到着。
大方の乗客が改札口へ向かう中、播但線乗り場へ。
33番線には23分発が止まってたけど、どうせ寺前から先のダイヤはおんなじ、ということで44分発まで小休止。
でも、後々考えたら、23分発に乗っておけばよかったという罠。
8時44分、播但線の普通・寺前行きが姫路駅を発車。
寺前までは電化されているので、103系が入線している。
とは言うものの、大阪環状線とは違い、こちらは2両編成。
さらにワンマン運転。
車内には料金表の電光掲示板と料金箱が設置され、あまり103系らしくない。
が、乗り心地は103系そのもので、やっぱり雑(笑)。
9時24分、寺前着。
島式ホームの反対側には、28分発の和田山行きが待っている。
こちらは単行(1両)のディーゼルカー。
ま、空いてるんだろうけど・・・混んでる。( ̄▽ ̄;)
車内は結構な混み具合。
おかげで、窓辺の席を確保できず(しかも後ろ向き)。
うーん・・・姫路で23分発に乗っとけばよかった(悔)。
さて、播但線の車窓も、ここから先は人里離れた山間の景色に変わる。
その景色の中を、単行のディーゼルカーがゴトゴトと進んでいく。
眠い・・・
目を覚ますと、線路の脇を流れる川の流れが逆になっている。
いつの間にかサミットを越え、山陰側に入っていたのだ。
こうなると、播但線も終点が近い。
10時12分、和田山に到着した。
和田山では、姫路と同じく26分の接続時間がある。
とはいうものの、何もすることがない。
同じく先ほどの列車に乗っていた他の面々も、手持ち無沙汰な様子。
と、自販機コーナーの向こうに売店があるのを発見。
うどん屋さんもある。
・・・食うしかあるまい(笑)。
なんとか26分の時間をつぶして、10時38分発の城崎温泉行きに乗り込んだのだが・・・
新快速以上の激混み(汗)。
こりゃ、ちょっと2両ではキツイんでないかい?っていう具合。
ま、なんとか座ることはできましたけど、如何せん113系のボックスシートだから、狭くて堪んなかった。
途中、八鹿の駅でスノーボードを担いだ学校帰りと思しき3人組が降りていった。
ここからだと、バスでハチ高原に向かえる。
帰宅がてらゲレンデか・・・
ちょっぴりウラヤマシイ。( ゚д゚)ウラヤマスィ
車窓に映る円山川の流れは、穏やかそのもの。
だが、ひとたび大雨が降ると、この川は暴れだす。
昨年10月の台風23号による水害の光景が、脳裏に浮かぶ。
円山川の川幅が広くなってきたら、この列車の終点、城崎温泉に到着だ。
11時25分。
やっと、城崎温泉まで来たぁ。
よーし、次の列車までの時間を利用して、駅前の温泉に入っ・・・25分しかないんだった。○| ̄|_
それにしても、また、中途半端な時間だ・・・
姫路からこっち、ず~っと見かける同じ顔ぶれの面々は、皆、することのないホームで時間を潰していた。
いや、気がつけば、みんな18きっぷ族なの。
上はお年寄りのご夫婦、下は小学校3年生ぐらいのヒトリストの男の子まで・・・
やっぱり、餘部まで行くんでしょうかね(笑)?
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 2/12
2010年7月16日 旅行さて、実際に餘部まで行くとなると、どういう行程があるのか・・・
18きっぷで行くからには、普通列車しか乗れないぞ。
そこで、JRおでかけネットで検索。
念のため、大阪駅を6時発に設定してみたところ・・・
第1経路では、大阪6時2分発の福知山行きの各停から乗り継いで、10時28分に餘部に着く。
途中の乗り換えが福知山と豊岡だけで、しかも2分、6分で接続している。
これは、意外と早いぞ。
問題は6時2分発に乗ることができるかどうかだ。
泉北の始発から御堂筋線に乗り継いで、最も早く梅田にたどり着いたとして・・・
梅田着、5時59分。( ̄▽ ̄;)
あまりにもギリギリ過ぎる。
こりゃダメだ。
第2経路を見てみる。
大阪を7時18分に出て、餘部着が・・・
12時31分?( ̄▽ ̄;)
梅田までの1時間を加算すると、合計6時間・・・
大阪からの経路はこうだ。
7時18分発の新快速で姫路へ。
8時18分、姫路着。
26分の接続で、播但線寺前行きに乗る。
寺前着が9時24分だ。
ここでは4分の接続で和田山行きが出る。
和田山着、10時12分。
姫路と同じく26分の接続で、10時38分発の城崎温泉行きに乗る。
11時25分、城崎温泉着。
またまた25分の接続があり(ここまでの接続時間の合計が1時間21分・・・)、11時50分発の浜坂行きで餘部へ。
12時31分、ようやく餘部に到着する。
遠いなぁ・・・
18きっぷで行くからには、普通列車しか乗れないぞ。
そこで、JRおでかけネットで検索。
念のため、大阪駅を6時発に設定してみたところ・・・
第1経路では、大阪6時2分発の福知山行きの各停から乗り継いで、10時28分に餘部に着く。
途中の乗り換えが福知山と豊岡だけで、しかも2分、6分で接続している。
これは、意外と早いぞ。
問題は6時2分発に乗ることができるかどうかだ。
泉北の始発から御堂筋線に乗り継いで、最も早く梅田にたどり着いたとして・・・
梅田着、5時59分。( ̄▽ ̄;)
あまりにもギリギリ過ぎる。
こりゃダメだ。
第2経路を見てみる。
大阪を7時18分に出て、餘部着が・・・
12時31分?( ̄▽ ̄;)
梅田までの1時間を加算すると、合計6時間・・・
大阪からの経路はこうだ。
7時18分発の新快速で姫路へ。
8時18分、姫路着。
26分の接続で、播但線寺前行きに乗る。
寺前着が9時24分だ。
ここでは4分の接続で和田山行きが出る。
和田山着、10時12分。
姫路と同じく26分の接続で、10時38分発の城崎温泉行きに乗る。
11時25分、城崎温泉着。
またまた25分の接続があり(ここまでの接続時間の合計が1時間21分・・・)、11時50分発の浜坂行きで餘部へ。
12時31分、ようやく餘部に到着する。
遠いなぁ・・・
旅の思い出 2005年3月30日 青春18きっぷの旅第2弾 余部鉄橋編 1/12
2010年7月16日 旅行今夜、98年に渡る余部鉄橋の歴史に幕が閉じた。
わたしは、この鉄橋を2回だけ見に行ったことがあるが、もう、あの勇姿を目にすることができないというのは、一抹の寂しさを感じる。
そんな余部鉄橋を初めて訪れたのは5年前、2005年の3月30日。
当時の旅日記を、今日の日記で綴ることにする。
(列車ダイヤ等は2005年当時のものです)
山陰本線、餘部橋りょう(通称:余部鉄橋)。
赤い橋脚が空高くそびえ、地上40mの高さを列車が渡って行く。
実際に見たことがない人でも、写真・映像等で見たという人は多いのでは?
この鉄橋、日本では珍しいトレッスル式という建築様式で組み上げられている。
日本海からの強い風にも負けない(というか、影響を受けにくい)のだ。
着工が1909年(明治42年)12月、開通が1912年(明治45年)3月。
2年の歳月と33万余円の巨費、延べ25万人の人夫を投じて完成。
これにより、事実上の山陰本線の全通となった。
今から数えて93年も前のことである。
高さ41m、長さ309m。
当時、東洋一としてデビューしたが、現在でもトレッスル式鉄橋では日本一の規模を誇る。
餘部の悲願として完成したこの鉄橋。
地元民の足としてだけでなく、山陰地方の観光名所にもなっている。
そして、長きに渡って活躍してきた鉄橋に、あの日、悲劇が訪れた・・・
わたしは、この鉄橋を2回だけ見に行ったことがあるが、もう、あの勇姿を目にすることができないというのは、一抹の寂しさを感じる。
そんな余部鉄橋を初めて訪れたのは5年前、2005年の3月30日。
当時の旅日記を、今日の日記で綴ることにする。
(列車ダイヤ等は2005年当時のものです)
山陰本線、餘部橋りょう(通称:余部鉄橋)。
赤い橋脚が空高くそびえ、地上40mの高さを列車が渡って行く。
実際に見たことがない人でも、写真・映像等で見たという人は多いのでは?
この鉄橋、日本では珍しいトレッスル式という建築様式で組み上げられている。
日本海からの強い風にも負けない(というか、影響を受けにくい)のだ。
着工が1909年(明治42年)12月、開通が1912年(明治45年)3月。
2年の歳月と33万余円の巨費、延べ25万人の人夫を投じて完成。
これにより、事実上の山陰本線の全通となった。
今から数えて93年も前のことである。
高さ41m、長さ309m。
当時、東洋一としてデビューしたが、現在でもトレッスル式鉄橋では日本一の規模を誇る。
餘部の悲願として完成したこの鉄橋。
地元民の足としてだけでなく、山陰地方の観光名所にもなっている。
そして、長きに渡って活躍してきた鉄橋に、あの日、悲劇が訪れた・・・